佐伯 俊男

1945年宮崎生まれ。絵師。

大阪へ移住した4歳のとき、隣家の縁側への落描きを当主人に褒められたことが、以後絵画を志す大きな契機となる。近所の子供たちとよく遊び、自作の紙芝居を披露する人気者でこの頃から絵画のみならず”エンタテイナー”としての才覚を遺憾無く発揮していた。

1960年京都の美術高校へ入学。

 

石膏デッサンや油絵を学ぶ。

友人たちに頼まれて春画を描いていたことからあだ名は「絵師」だった。

1963年大阪の広告デザイン会社に勤める。

当時まだ「図案」と言われていたグラフィックデザインを覚えるも3年ほどで辞め、海外貧乏旅行を決行、ソ連、ヨーロッパ、中近東、東南アジアを巡る。

1969年自身の表現の場を求めて上京。

アパートの四畳半に籠り独自の表現を模索する。精根尽き果てる直前に突如誕生した特異な画風は、寺山修司、澁澤龍彦、永六輔らの激励を受け、翌70年『平凡パンチ』でデビュー。『佐伯俊男画集』(アグレマン社)を処女出版する。同年パリで個展が開催されるが原画全てを盗まれる。

その後、出版界を中心に国内外で活躍。1972年にはジョン・レノンとオノ・ヨーコのアルバム『Sometime in New York City』のジャケットのアートワークに作品が採用される。また、1979年にフランスで作品集が劇場版アニメ映画化(アルゴス・フィルム)され、セザール賞で短編映画賞を受賞する。そして1996年に著書『痴虫2号』の序文にティモシー・リアリィ博士から“エロティック・エンジニア”との賛辞を贈られる。

その作品は、自身が生まれ育った戦後日本の大衆文化とポップアートを融合させ、エロス、ユーモア、ホラーなどの要素をカラフルでセンセーショナルに表現している。あらゆる性のタブーを破った超越的世界は見る者を挑発し、魅了する。しかし、単なるエロティックな描写だけにとどまらず、愛や欲望、そしてジェンダーについての新しい解釈を提示する独自の洗練された美学を生み出している。

創作のスタイルは、浮世絵のように「絵師」である自身が絵を描き、色を指定し、「刷り師」がそれを刷るという独自の手法「チント印刷」で行った。したがって原画は線画のみであり、印刷されて初めて色の付いた完成品となる。 この手法により「線」と「色面」で構成された「平面性」が強調され、作品に独特の個性を与えている。

近年では、ニューヨーク、サンフランシスコ、ロンドン、パリ、テルアビブ、香港、トロント、日本、台北などで展覧会を開催し、その全てが高い評価を受けている。その要因は極めて日本的な設定でありながら、既成概念や価値観を破壊し、見る者に自分の中に隠された本当の姿を突きつけるその普遍性にあるのだろう。

晩年は千葉県山中にて創作、読書、野草の生花等を楽しみ、妻と共に生活そのものを愛して過ごした。